日常はモノクロではない。

大昔に写真の展示のテーマに使った言葉。
昨日、mixiつながりのイオリさんと話をしながら、
彼の作品「Streetscape」を触って久々に思い出しました。


彼の作品は凄く簡単に言えば「音の出る地図」で、
体験する人間はその地図の中をタブレットで自由に動き回って
その地図の中にある「街」を体験する事が出来る、
その街の音、一つ一つに発見があって、
それらが地図をたどるとよどみなく繋がって行く。
「日常の非日常性」が、
僕にはそこにある様に見えたのです。


恐らく、そこに多くの人が気付くのは、
彼の作品が同じ場所で二つ、違う時間軸のものを同時に展示した時。
同じ場所でも、そこにある日常がまず変わっている事に人々は気付いて、
その後、その日常自体がすでに過去という形の非日常になってしまった事に人は気付くはず。


そこから、今自分が過ごしている日常自体、既に昨日は違う、同じ色でまっさらに塗られていない
「彩られた非日常」であるという事に、人々が気がつくのかな、と思ったのです。


僕が「日常の非日常性」という事を初めて思ったのが3年前。
あの時は16枚の写真を6連作で展示して、
一枚一枚をPhotoshopで微妙に加工して行くという形のものでした。
ほんっとに一部の人が気がついてくれて、
その一部の人からは凄く大きく反響を貰えたのだけれど、
その心を、自分自身が忘れていた様な気がします。


イオリさん、ほんっとありがとう。
今度の機会を絶対良いものにしましょうね。